教会創立 1930年12月23日
1920年代後半、キリスト教の教えにふれた住道町(当時)の若者たちが、地域で伝道を始めました。1929年、伝道集会にやって来た賀川豊彦(1888-1960)に、若者たちが教会の立ち上げを相談したところ、同志社大学神学部を出た金田弘義牧師(1905-1981、戦後「イエス団」理事長)が遣わされてきます。そして日曜学校や家庭集会をもつようになりました。翌30年、最初の受洗者が与えられたのが、私たちの教会のはじまりです。そして教会名は賀川豊彦の小説『一粒の麦』(1929年11月より講談社で連載中)から名付けられました。32年には住道駅の北側に会堂を建て上げ、翌33年に、教会はセツルメント事業として農繁期の託児所を併設しました。戦中の困難な時期を乗り越えた教会は、戦後の1945年10月、住道駅前に新たな会堂建設に取りかかり、47年、日本キリスト教団に連なる「住道一粒教会」として再スタートします。1950年、教会は宗教法人として認証を受けました。翌51年、教会は宗教法人の公益事業として、「住道一粒保育園」を大阪府の認可を受け開設し、以降、キリスト教保育を通しても地域との関係を深めてきました。さらに四條畷への開拓伝道により、1959年には四條畷伝道所を新たに建てました(現四條畷教会)。1972年には二度の水害(大東水害と台風)にみまわれ、教会は現在の深野(ふこの)4丁目の教会境内地(教会の敷地)に保育園を伴い、移転しました。
私たちの教会はニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白する正統信仰の上に立っています。現在、教会には、中学生から80歳を越す方まで、さまざまな人々が集まっています。洗礼を受けた信徒(教会員)は約20名ですが、その家族や理解ある友人たち、地域の方々などにも支えられています。
なお、当教会も連なる日本キリスト教団は、日本のプロテスタント・キリスト教では最も大きな教派で、全国に約1650の教会があります。大阪教区(大阪・奈良・和歌山)には137の教会・伝道所があり、互いに協力しています。その中でも私たちの教会は河内地区にあります。
大東水害の痕跡
礼拝堂正面の講壇に置かれている(大型聖書のある)説教壇《上の写真左》は、1972年7月10-13日に起こった大東水害(1972年7月豪雨)の生き証人です。また、同年9月16日の台風20号による再度の氾濫により、二度目の床上浸水にみまわれています。当時、教会は住道駅前の寝屋川と恩智川の合流点にあり、床上浸水の跡が説教壇の中程に、今も残っています。
説教壇は現在も大切に使われています。
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